宮本武之輔の思い出

宮本武之輔の画像資料を、時系列でご紹介しています。武之輔が思い出を振り返っているかのように、お楽しみください。

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1 船員見習い時代(15歳)

1 船員見習い時代(15歳) 

従兄弟の藤井半次郎

従兄弟の藤井半次郎

3 興居島旧宮本生家の土蔵(現存せず)

3 興居島旧宮本生家の土蔵(現存せず)

4 宮本生家の入り口

4 宮本生家の入り口

【異父兄 窪内石太郎】
宮本武之輔の生涯は義父兄 窪内石太郎無しではありえない。武之輔は、人生の苦悩をことあるごとに打ち明け相談した。また、石太郎も弟の才能を評価し、勉学に励む必要性を教え、工科のコースを目指すように強く説得する。東京帝国大学採鉱冶金学科卒、明治工業株式会社取締役
【篤志家 宮田兵吉】
武之輔の生涯を語るうえで忘れてはならない大恩人である。武之輔に中学、高校を通じて毎月学費、生活費の仕送りを続けた。村会議員を30年余り務めた村の長老各で、私財をなげうって、道路や貧民救済事業を行った。無理な返済は求めず、勤勉さとともに、優秀な成績を求めた。武之輔は、危篤と聞いて公務を中断し急遽島まで駆けつけている。
5 宮本武之輔 東京帝国大学時代

5 宮本武之輔 東京帝国大学時代

6 義父兄窪内石太郎・武之輔の将来をあらしめた兄

6 義父兄窪内石太郎・武之輔の将来をあらしめた兄

7 大恩人 宮田兵吉翁

7 大恩人 宮田兵吉翁

 

※同級生に芥川龍之介、菊池寛、久米正雄、後に大河津自在堰を設計する岡部三郎が同級だった。中学時代は小説にのめりこみ、自ら執筆し将来は文学者を目指そうと志したが、異父兄に大反対されたこともあり作家の道を断念した。

8 「南風」終刊号

8 「南風」終刊号

9 「南風」志友、×印が武之輔

9 「南風」志友、×印が武之輔

10 四国88箇所巡礼中

10 四国88箇所巡礼中

11 宮本武の輔・中路幸子の婚約時代

11 宮本武の輔・中路幸子の婚約時代

12 婚約時代

12 婚約時代

大正9年4月10日、東京で結婚式と披露宴が行なわれた。武之輔28歳、幸子18歳。
13 結婚直前の宮本と中路幸子

13 結婚直前の宮本と中路幸子

 

14 小名木川閘門工事

14 小名木川閘門工事

15 結婚式

15 結婚式

16 親族に囲まれた結婚式記念写真

16 親族に囲まれた結婚式記念写真

17 異父兄窪内石太郎と英国にて

17 異父兄窪内石太郎と英国にて

大正12年6月、武之輔は内務省(現在の建設省)から欧米の長期出張(留学)を命じられた。
18 欧米出張途上エジプトで。前列右から2人目

18 欧米出張途上エジプトで。前列右から2人目

昭和2年の信濃川大河津自在堰陥没事故で、内務省の威信をかけた可動堰建設の陣頭指揮をとり、出水や風雪、風土病と戦いながら、わずか4年後の昭和6年に完成させ、越後平野を洪水から守り、民衆のために尽した。
19 芸者丸子

19 芸者丸子

20 武之輔と長男靖(新潟時代)

20 武之輔と長男靖(新潟時代)

21 可動堰工事現場での武之輔と子供たち

21 可動堰工事現場での武之輔と子供たち

22 左から長女とし子、武之輔、次女さと子、長男靖、妻幸子

22 左から長女とし子、武之輔、次女さと子、長男靖、妻幸子

23 家族とともに海水浴

23 家族とともに海水浴

24 熟期宮本

24 熟期宮本

26 最後の家族写真

26 最後の家族写真

27 満州開発の現場に立つ武之輔

27 満州開発の現場に立つ武之輔

※写真は武之輔のご子息宮本信氏、(社)北陸建設弘済会のご協力による。

 

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