日時:平成21年11月3日
場所:興居島由良小学校体育館
内容:興居島文化祭・講演会・パネル展示を実施
宮本武之輔の功績について、特に信濃川補修工事を中心にご紹介しました。
今回の講演会もご好評をいただきました。
日時:平成19年11月16-17日
場所:アイテム愛媛
内容:宮本武之輔の資料展示と特別講演
「台湾を愛した日本人八田與一の生涯」の著者でご活躍の古川勝三氏により、
民衆のために生きた土木技術者の講演。特に、“八田與一”と郷土松山(興居
島)が生んだ偉大なる土木技術者“宮本武之輔”について、その生涯を紹介して
いただきました。
展示ブースでは「民衆のために生きた土木技師 八田與一 宮本武之輔」と題し、資料の展示会を行いました。
-宮本武之輔-
明治25年興居島に生まれ,東京帝国大学土木工学科を首席優等で卒業後内務
省に入省し、利根川、荒川の河川改修、信濃川大河津自在堰陥没の復旧など
民衆のために尽くす。コンクリート工学博士となり、名著「治水工学」執筆、日本
工人倶楽部発足、技術者の地位向上運動展開、昭和16年には企画院次長に
任ぜられた。
-八田與一-
明治19年石川県金沢市に生まれ、東京帝国大学工学部土木科を卒業後、
台湾総督府内務局に就職。桃園大司の水利工事、台湾南部の嘉南平野灌
漑のため、烏山頭ダムと1万6000キロに及ぶ灌潮用水路の建設に従事。ほ
ぼ全生涯を台湾に住み、台湾のために尽くした。
講演も素晴らしく、展示もご好評を頂いた素晴らしいフェアーとなりました。
日時:平成19年7月21日(土)
場所:興居島
内容:「顕彰碑」「観音寺」訪問後、相子ヶ浜「山田商店」で懇親会
【四十島 通称 ターナー島】
所在地 愛媛県松山市高浜町1丁目乙115番
地積 1,199m2
経緯
明治28年4月 夏目漱石松山中学校に赴任
明治37年2月 国から四十島の払い下げを受ける。
明治39年4月 小説「坊っちゃん」発表
昭和52年頃 松喰い虫被害の拡大
昭和53年頃~ 北岡杉雄氏(元小学校教諭)が黒松の移植を開始
平成3年9月 19号台風による高波、塩害
平成17年6,月22日 松山市から譲与申請
由良地区の町並みの中心に「島の玄関口」由良港があります。
昭和29年5月 全日本建設技術協会が建立
(表)
偉大なる技術者/宮本武之輔博士/この島に生る
(裏)
宮本武之輔君は正義の士にして信念に厚し/卓抜せる工学の才能と豊かなる情操と秀でたる/文才とを兼ね具へ終生科学立国を主唱す/知る者皆其の徳を慕う/明治25年1月生/東京帝国大学工学科卒業・内務技師として我国土木事業に盡瘁(じんすい)/興亜院技術部長として大陸の建設事業を指導/企画院次長として産業立国の策定に挺身/昭和16年12月東京に於いて没す
宮本家の墓は、長い石段を上り山門に向かって左側の見晴らしのいい「一等地」にある。
宮田家の墓
宮田兵吉は、武之輔に中学、高校を通じて毎月学費・生活費を援助し続けた。
兵吉と武之輔の父藤次郎とは幼なじみであり昵懇の仲であった。
窪内家の墓
宮本武之輔を偲び顕彰する会のイベントの様子です。
宮本武之輔のご親戚の所蔵写真から
今の大河津分水路のレポートです。