新潟視察22.11.21

金沢ふるさと偉人館前にて

金沢ふるさと偉人館前にて

日時:平成22年11月21~23日
新潟視察の様子を写真でご紹介します。

21日 松山市内発-金沢ふるさと偉人館など市内散策

宮本武之輔が紹介されているコーナー

宮本武之輔が紹介されているコーナー

宮本武之輔が制作した可動堰の模型(当時の物)

宮本武之輔が制作した当時の可動堰の模型(当時の物)

武之輔が15~49歳の生涯、書き続けた日記(全18巻)

武之輔が15~49歳の生涯、書き続けた日記(全18巻)

他、図面や当時の貴重な資料などを特別に見学させていただきました。

22日 信濃川大河津資料館(ほか可動堰、桜並木、記念碑等の視察)

武之輔が築き上げた可動堰

武之輔が築き上げた可動堰

※昭和2年の信濃川大河津自在堰陥没事故で、内務省の威信をかけた可動堰建設の陣頭指揮をとり、出水や風雪、風土病と戦いながら、わずか4年後の昭和6年に完成させ、越後平野を洪水から守り、民衆のために尽しました。この可動堰はその時に作られたものです。詳しくはコチラをどうぞ。

可動堰可動堰

信濃川補修工事記念碑

信濃川補修工事記念碑

信濃川補修工事記念碑信濃川補修工事記念碑

大河津可動堰改築の現場も見学しました。

可動堰改築工事現場可動堰改築工事現場

貴重な建築現場を見学することができました。

23日 名残惜しいですが、新潟を発ち、松山に帰りました。

講演(興居島文化祭)22.11.03

興居島文化祭での講演
日時:平成22年11月3日
場所:興居島由良
内容:興居島文化祭での講演

今回の講演では、宮本武之輔の本省栄転から急逝までをご紹介しました。

講演の様子講演の様子

講演の様子展示の様子

宮本武之輔を偲び顕彰する会では、積極的に講演活動を行なっています。これも全て、偉大な情熱のエンジニア、宮本武之輔を多くの方に知っていただきたい一念からです。

講演(愛媛県民文化会館)22.10.26

黎明期の河川技術者」に学ぶ防災・減災 講演様子

日時:平成22年10月26日
場所:愛媛県民文化会館
内容:黎明期の河川技術者に学ぶ防災・減災 の講演、展示

「台湾を愛した日本人」著者 古川勝三氏の講演と資料展示を行ないました。
こちらもご好評をいただきました。

展示資料展示資料

講演の様子講演の様子

講演の様子

第23回例会22.08.28

宮本武之輔顕彰碑 作業後
日時:平成22年8月28日
場所:興居島 由良
内容:宮本武之輔の墓参り・宮本武之輔顕彰碑を建立当時の様にしてみる(文字を白色に着色にする)。

宮本武之輔顕彰碑を、建設当時の様に補修をしていきます。今回は文字色を白に復元する作業を行いました。会員で強力して行いました。

顕彰碑の補修作業顕彰碑の補修作業

作業前の宮本武之輔顕彰碑

作業前の宮本武之輔顕彰碑

顕彰碑 補修作業後

顕彰碑 補修作業後

美しく補修することができました。

補修後の顕彰碑の前で記念撮影

補修後の顕彰碑の前で記念撮影

作業後は、相子ヶ浜海水浴場 山田商店さんで懇親会を開きました。
作業後の懇親会

講演(興居島文化祭)21.11.03

興居島の文化祭での講演会の様子
日時:平成21年11月3日
場所:興居島由良小学校体育館
内容:興居島文化祭・講演会・パネル展示を実施

宮本武之輔の功績について、特に信濃川補修工事を中心にご紹介しました。
講演会の様子講演会の様子

講演会の様子

今回の講演会もご好評をいただきました。

講演(興居島文化祭)20.11.03

宮本武之輔の大恩人 宮田兵吉翁の顕彰碑
日時:平成20年11月3日
場所:興居島由良小学校体育館
内容:興居島文化祭・興居島文化祭(500人参加)において・講演会・パネル展示を実施

興居島文化祭に参加し、宮本武之輔の生涯について、興居島に生まれてから東京で亡くなるまでの全般についてご紹介しました。

参考資料-宮本武之輔の大恩人 宮田兵吉翁の顕彰碑-

宮本武之輔の大恩人 宮田兵吉翁の顕彰碑宮本武之輔の大恩人 宮田兵吉翁の顕彰碑

講演、展示共にご好評をいただきました。

第13回例会(興居島)20.08.09

現地例会(興居島)
日時:平成20年8月9日(土)
場所:興居島由良
内容:現地例会・興居島の地元の方々7名参加・意見交換、興居島でのイベント計画・ホームページについて

地元の方々を交えての意見交換。興居島でのイベント計画について話し合いました。

現地例会の様子現地例会の様子

懇親会の様子

懇親会の様子

くらしと技術の建設フェアー19.11.16-17

展示ブース
日時:平成19年11月16-17日
場所:アイテム愛媛
内容:宮本武之輔の資料展示と特別講演

「台湾を愛した日本人八田與一の生涯」の著者でご活躍の古川勝三氏により、
民衆のために生きた土木技術者の講演。特に、“八田與一”と郷土松山(興居
島)が生んだ偉大なる土木技術者“宮本武之輔”について、その生涯を紹介して
いただきました。

古川勝三氏の講演講演の様子

展示ブースでは「民衆のために生きた土木技師 八田與一 宮本武之輔」と題し、資料の展示会を行いました。

宮本武之輔
明治25年興居島に生まれ,東京帝国大学土木工学科を首席優等で卒業後内務
省に入省し、利根川、荒川の河川改修、信濃川大河津自在堰陥没の復旧など
民衆のために尽くす。コンクリート工学博士となり、名著「治水工学」執筆、日本
工人倶楽部発足、技術者の地位向上運動展開、昭和16年には企画院次長に
任ぜられた。

展示ブースの様子展示ブースの様子

八田與一
明治19年石川県金沢市に生まれ、東京帝国大学工学部土木科を卒業後、
台湾総督府内務局に就職。桃園大司の水利工事、台湾南部の嘉南平野灌
漑のため、烏山頭ダムと1万6000キロに及ぶ灌潮用水路の建設に従事。ほ
ぼ全生涯を台湾に住み、台湾のために尽くした。

展示ブース展示ブース

ご好評をいただきました展示ブース展示ブース

講演も素晴らしく、展示もご好評を頂いた素晴らしいフェアーとなりました。

第7回例会(興居島)19.07.21

宮本家菩提寺観音寺にて記念撮影

日時:平成19年7月21日(土)
場所:興居島
内容:「顕彰碑」「観音寺」訪問後、相子ヶ浜「山田商店」で懇親会

伊予鉄道 高浜駅高浜港フェリー待合所

伊予鉄道高浜駅と高浜港フェリー待合所
高浜港フェリー桟橋
高浜港フェリー桟橋

四十島 通称 ターナー島

四十島 通称 ターナー島

【四十島 通称 ターナー島】
所在地 愛媛県松山市高浜町1丁目乙115番
地積 1,199m2
経緯
明治28年4月 夏目漱石松山中学校に赴任
明治37年2月 国から四十島の払い下げを受ける。
明治39年4月 小説「坊っちゃん」発表
昭和52年頃 松喰い虫被害の拡大
昭和53年頃~ 北岡杉雄氏(元小学校教諭)が黒松の移植を開始
平成3年9月 19号台風による高波、塩害
平成17年6,月22日 松山市から譲与申請

興居島全景:フェリー船上

興居島全景:フェリー船上

 松山市の北西部に位置し、高浜港から2キロという近くにあり、フェリーで約10分。伊予の小富士とよばれる山がある。古文書によると、島の中央部の船越に小千御子の御母和気姫命を葬ったところから、島は母居島(もいじま)と呼ばれていたが、元禄の頃興居島に改めたという。冬は暖かく、雪や霜の害がほとんどなく、また夏は涼しい風光明媚な島である。島には、古くから伝わっている伝統芸能の「船踊り」があり、県の重要文化財に指定されている。
由良港

由良港

由良地区の町並みの中心に「島の玄関口」由良港があります。

宮本武之輔顕彰碑前記念撮影

宮本武之輔顕彰碑前記念撮影

昭和29年5月 全日本建設技術協会が建立
(表)
偉大なる技術者/宮本武之輔博士/この島に生る
(裏)
宮本武之輔君は正義の士にして信念に厚し/卓抜せる工学の才能と豊かなる情操と秀でたる/文才とを兼ね具へ終生科学立国を主唱す/知る者皆其の徳を慕う/明治25年1月生/東京帝国大学工学科卒業・内務技師として我国土木事業に盡瘁(じんすい)/興亜院技術部長として大陸の建設事業を指導/企画院次長として産業立国の策定に挺身/昭和16年12月東京に於いて没す

宮本家 菩提寺 観音寺

宮本家 菩提寺 観音寺

宮本家の墓は、長い石段を上り山門に向かって左側の見晴らしのいい「一等地」にある。

宮本家 菩提寺 観音寺

宮本家 菩提寺 観音寺

宮本武之輔の墓
宮本武之輔の墓宮本武之輔の墓

宮本武之輔の両親の墓
宮本武之輔の両親の墓

宮本武之輔の両親の墓宮本武之輔の両親の墓

後藤家の墓
後藤家の墓後藤家の墓

後藤家の墓後藤家の墓

宮田家の墓

宮田家の墓

宮田家の墓

宮田家の墓
宮田兵吉は、武之輔に中学、高校を通じて毎月学費・生活費を援助し続けた。
兵吉と武之輔の父藤次郎とは幼なじみであり昵懇の仲であった。

窪内家の墓

(窪内家の墓)

窪内家の墓

窪内石太郎の墓

窪内石太郎の墓

窪内石太郎の墓窪内石太郎の墓

相子ヶ浜の山田商店さんにて懇親会

相子ヶ浜の山田商店さんにて懇親会

相子ヶ浜の山田商店さんにて懇親会